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太極拳について
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太極拳には陳派、楊派、呉派、孫派などがありますが、呉派、孫派は楊派から分かれ、 楊派は陳家から分かれたといいます。したがって、すべての太極拳の祖は陳家であるとい
われ、陳家太極拳をぬきにしては歴史、技法、理論を語ることはできないといわれていま す。父がいうには、この辺の事情は、中国拳法史研究で有名な唐豪(1897〜195
9)の「太極拳的発展及其源流」に詳しい考察があるといいます。ここでは、それらを元 に最近の通説について述べていきます。太極拳は河南省温県陳家溝の陳家九世の孫、明末
の武将、陳王廷の創始になるといわれています。明が滅亡し清になる頃、陳王廷は年老い たので隠居して武術を研究し、当時の各派の拳法を総合して易経の理に則って太極拳と名
付けたといいます。陳王廷は、その300年程前に倭寇との戦いで功のあった名称戚継光 (せきけいこう)(1528〜1587)が陳兵のために編集した「紀効新書」の中の
「拳経」にある拳法の形三十二勢のうち実に二十九勢を大極拳の中に取り入れている。太 極拳は導引吐納と結びつき、複式呼吸を採用し、練習時に汗を流しても呼吸が乱れず、極
めて強い威力を発揮するといいます。内外兼修、身心並錬、意、気、力三結合の内功拳と なったといいます。陳家溝の陳家は代々陳王廷の創始した太極拳を伝えたといいます。1
4世の陳長興(1771〜1853)の代になって更に発展しました。陳有本は時代の要 求に応じて動作を簡易にして新しい形(新架)を編成し、これに対して陳長興の伝統形を
老架といっています。陳清萍は婿となって趙保鎮に移って小架に形を改め趙保架としたと いいます。永年県の楊露禅(1799〜1872)は陳長興について老架の拳を学び、自
らの工夫も加えて、老幼男女の別なく実行できるように改編して北京に行って広めたとい います。これが現代の楊家派の太極拳です。 父は太極拳は陳王廷ひとりの創作にかかるものではないだろうといっています。陳王廷
が編成する前にモトになる技があり、おそらく、それは、陳王廷の生まれる三百余年前に 発行された紀効新書の拳経にある三十二勢の図解された技であろうといっています。紀効
新書巻之十四、拳経捷要篇に当時行なわれた拳法の名とその特徴を述べ、終わりに戚継光 が舟山の役所に居た時に得た「劉草堂の打拳」を図解して独習に供しているといいます。
この拳法には癩扎衣、金鶏独立、探馬、拗単鞭、下挿勢などの陳家太極拳にあるのと同じ 動作が図解して述べられているといいます。また、父がいうには、大極拳の源流は張三ボ
ウが祖であるという説があるといいます。確かに、河南省陳家溝の陳一族では陳王廷説を とって、張三ボウ説を否定して、陳長興を中興の祖としているといいますが、父が平成元
年の暮から平成二年正月にかけて武当山に旅したとき、そこで武当山の道士の方々や武当 山拳法研究会の先生がたはやはり張三ボウ説をとっているといたといいます。
さて、父が王樹金先生から伝えられた「正宗太極拳」は、元中央国術館副館長の陳伴嶺先生が、楊家派と陳家派をもとにし更に各派の太極拳を総合して編成したものだそうです。父はこの正宗太極拳に
八卦掌、形意拳の技を取り入れ、更に柔術も加味して日本的な太極拳に編成しなおして、 武術と健康法をかねて伝授しています。ところで、父がいうには、太極思想は易に出てく
るので禅宗とは異なり、易の哲理大極を拳法で表現したのが太極拳、形意拳、八卦掌だそ うです。中国では出家(外家)すなわち仏僧を外家といい、道家を内家といい、先の三拳
を「内家拳」、少林派を「外家拳」といっているそうです。
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